モノを「擬人化」できる人のエネルギー
あの、コンビーフたん、っていうんですか?「コンビーフどぞー!」とか言ってコンビーフくれるやつ。googleで「コンビーフたん」って探したら一発でWikipediaのページが先頭に来てました。それだけ有名ってことなんでしょうかね?コンビーフたん。
で、Wikipediaのリンクを見てみると、コンビーフたんだけではなく、シーチキンたんやらシュールたんやらタラバたんなんてのもいる。その中でコンビーフたんのこんな記述を見つけた。
牛解体しちゃうの!? うわぁぁああ。と叫んでいたら、ごていねいに「うわぁぁああ」っていうアスキーアートまで用意されてやがる。モニターの向こうの閲覧者の反応まで先回りして用意しているのね。用意周到というべきか。
でも、こうやって色んなアスキーアートを作る人って、一体どうやってその想像力を養ったのだろう。普通考えませんよね。だいたい、コンビーフたんは牛解体するだの、シーチキンたんは貧乳でセーラー服で19歳だの、シュールたんは巨乳で恥ずかしがり屋だの。タラバたんに関しては頭の缶から「蟹光線」がでるという記述を見たときには笑った。「だはは」と。こうまでくると、もう想像じゃなくて妄想の域なんだな。なんで?コンビーフおいしかったから?普通の人の場合と、想像力(妄想力)あふれる人の場合をケース分けするとどうなるんだろう。
こんなふうになるんですかね?すごいよなぁ。缶詰をアスキーアートにしようと思い立って、体の線の微細なところまで記号で表現し尽くす、というだけでもすごいと思うのに、それに費やすエネルギーを苦としない。そればかりか四姉妹のキャスティングまで缶詰。各々の設定もちゃんとしてて、それにストーリー性を載せてしまう妄想力。これだけで何かゲームの一つでもできるんじゃないか。そう思うほどによく出来ていると思う。
モノを「擬人化」できる人のエネルギーはどこから湧いてくるんだろう、全然わからない。